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経営者は強くなければ!?

15年ぐらい前の話です。

ある自動車メーカーの管理職の方が「35歳以上は原則採用しない」と言っていました。昨日の話題にもあった「可塑性が低くなる」というお話かと思ったらそうではなく、「個人の生産性や新しいことを生み出す力は30歳をピークに落ちていく。35歳以上はこれから落ちる一方なので、よほど今必要な特定の技能でない限りはとらない」と言っていました。その当時、私はまだ35歳よりもいくつか若くて、いくらでも勉強もでき、徹夜も苦ではなかったので、その言葉に実感はなく、ただ「大きい会社は人を選べるだけに厳しいなあ」と思っただけでした。

しかし、今ではこの言葉を私自身が実感しています。

 

 昔は社長さんというと眼鏡をかけて太鼓腹で、というのが漫画で描かれていたものですが、最近の経営者は海外でも日本でも、スマートでがっちりした体形でかっこいい方が多くなりました。社長は人を引き付ける魅力が必要となり、その意味でも時代は変わったのかもしれません。しかし、それ以上に社長の置かれている立場の厳しさも変わりました。いや、この言い方は適切ではありません。

団塊の世代には日本の発展期に一国一城の主として一旗揚げるべく血みどろの戦いを繰り広げて自らの力で勝ち取った起業家が実はたくさんいました。(この人たちのことはまた別の機会に記事にしたいとおもっています)しかし、その後日本が順調な成長と安定期に入ると、「社稷を守る」ために比較的保守的な後継者が日本の多くを占めるようになりました。時代はさらに流れて国際競争、国内でも競争が激しくなった今、また「社長の力」が会社の命運を決める時代になっています。昔のように、顧客や銀行が自社が死なないように思いやりを持って値段を考慮したり融資してくれる時代ではなくなり、自社を守るために戦い抜かなければならない時代に再び突入したのです。

 

経営、あるいは管理職の仕事というのは常に自分の甘さとの闘いです。

もっと良い方法があるはず、もっと調べればあるいは聞いて回れば情報はあるはず、もっと良い人材はいるはず、それなのに、全力を尽くさずに「この程度でいいや」と諦めてしまう誘惑に経営者だって人の子、常にとらわれます。24時間ずっと会社のことを考えていて時には仕事もしています。経営者には労働時間規制も及ばず、労災も失業保険もありません。そして、いつも、「もっとできたのではないか」という後悔をどこかに抱えています。社員ならばそれでも給与はもらえるでしょう。しかし、社長はそうではない存在です。

また、リーダーも人の子、かわいい若い社員たちに突き刺さるような厳しいことを言って親しみが冷えた距離感に代わることを決して楽しんでいるわけではありません。できれば公私とも仲良くできればそれに越したことはありません。私なんかは弱いので、社員の結婚式に出るのがとても嫌でずっと断っていました。いつか、この夫婦を不幸せにする決定を自分がしなければならない時が来るかもしれない、というのが怖くて仕方がなく、実は部下の結婚式というのは何百人という部下と付き合ってきて、1回しか出席したことがありません。

会社の中でトップだけがそういう苦しみを抱えていて、それを他の誰もわかってくれない。(その社長の苦しみを共有しいくばくかでも肩の荷を分担してあげたい、というのが私の今のこの仕事をする上での気持ちです。)自分に妥協すると、会社全部が妥協したことになってしまう、そのために限界まで考え苦しむ、それが社長というものなのですが、その肝心の「耐える」「踏ん張る」力が年々衰えることを感じずにはおれないのです。

 

マラソン、トライアスロンや厳しい登山などを行われている大手企業の経営者の方がたくさんおられます。私が仕えた方でも40代でトライアスロンやウルトラトレイルの大会に挑まれている方が何人かいました。皆さん、「苦しいけど楽しい」とおっしゃいますが、本質的に経営者は「全体の幸福、経営目標の達成のために自分を苦しめる」ことを敢えて選ぶ役割があり、自分と家族の快適な暮らしのための給与を第一の目的とする社員からはわかりえない孤独な職種です。その仕事とこれらのハードワークは似ているところがあります。こうしたことを楽しむ経営者の方は「マゾ」と自分を笑って評することがありますが、それは面白く言っているだけで、実際には、「苦しい先に達成感が得られる、ということを意識の中で習慣化することで仕事の苦しさも乗り越えることに前向きになれる」ように行っているのだと思います。そして、主として自分の精神面での最大出力や持続力を維持することが会社のために必要であるからこそ、トレーニングに励み、その確認の場を持とうとするのです。会社はトップの器以上に大きくはならないからです。

 

ちなみにこの話をあるところでしたら、持久走系の競技の世界選手権出場経験者で今でもフルマラソンを3時間を優に切る友人に、「異議あり、40、50でも向上する余地はある」と言われてギャフンと言わされました。そうなんです。積み重ねればそういう人もちゃんといるのであって、私みたいに「衰えの自覚」とか書いている人は、克己心が彼らに比べれば足りないのです。本当のエリートはそんなこと言っている間にトレーニングしたり、練習の計画を立てたりしているのです。

 

最初の話に戻って、サラリーマン35歳下降説。相当の努力をしなければ(そう、上の友人のように)体力も気力も下降線をたどり、その経営者の会社の経営の走力も低下し始めます。最近、若い経営者の方とお話しする機会が多いので、私はその話を良くします。経営の知識や技術だけでなく、これから彼らが経営職として長い旅を続けていくうえで、健康維持の大事さ、それでもやってくる限界に対してそれまでに組織が自走するようにしなければならないことや、下の世代に自分の競争相手を育てなければならないことの意味を知ってほしいからです。

しかし、まだ若く暴飲暴食も連日の長距離出張もなんでもない彼らにはやっぱり、実感はない言葉となってしまうようです、私がそうであったように。それが世代というものであり、やがてあと数年するとそれに気づく時が来て、「あの時、あの人がそういっていたなあ。あの人、ほんと自分たちのために言ってくれていたんだ」と思ってくれればそれでよいのかもしれません。

 

そういう私自身は昔は毎晩10キロ以上走っていたのですが、最近ではあちこち痛い痛い言いながら、その半分程度を時間も測らず気楽にランニングしています。この季節は一戸建ての玄関先にキレイな飾りつけをしているおうちがあったりすると、関西出身なので、「チビナリエ(神戸のルミナリエのミニ版)見つけた!」と思いながら息を切らしてすこし汗をかいています。走っっていると次の電柱まで止まらないことに必死ですので、その日の失敗や他人の発言を気にする余裕なんで飛んでしまいます。それがトライアスロンまでは到底届けない小者感ある私の「マインドフルネス」、わかりやすく言えば気分転換でもあります。

家の回りを走るだけなら、お金も靴代以外はかかりませんので、ちょっと最近締まりがないんじゃないですか?という見た目になってきたお付き合い先各社の30前後の若い経営者や幹部の方々にも、お勧めして、お勧めした以上自分もさぼれない、という状況を作っています。

そんな中、昨日、そんなお付き合い先の経営幹部の一人が、「僕も影響されてジム行くことにしましたよ」と言い始めました。彼が少しでも長く活躍してくれ、苦しさに耐え高い所へ行きつくことを願っています。

 

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